今、テレビを見れば、弁護士だらけ、。なんでも法的にはどうこうと、法が全ての基準であるが如くコメントしている姿に違和感を感じている人は、感覚のいい人です。。
現代は、基準がハッキリしない。。基準迷子時代です。。
だから、なんとなく法律が基準になり、法に照らして善悪を判断する癖。。法律依存が当たり前になってきました。。
昔は、裁判の話でしかテレビに弁護士は出てこなったのに、今は、なんでも弁護士にコメントを求め、弁護士が、コメントしています。。
小学校4年の時、担任の先生が話してくれた話が面白くて。。再現します。
「日本はいいんだぞー。。日本は悪い事しても謝れば許して貰えるだろ。アメリカはなんでも裁判になるんだぞ! 車のバックミラーが、小さく写る事が原因でぶつかって、バックミラーメーカーを訴えるんだぞ! だから今、バックミラーには、このバックミラーは、少し小さく写ります。。と、シールが貼ってあるんだ。アメリカは、悪いことしても、認めると裁判で負けるから、絶対謝らないんだ。。そんな国嫌だろが! 日本はいいよな。。謝れば許してくれるんだ。」
どうですか? 今、日本はアメリカと同じですよ。。
高度経済成長時代。。私達が子供の頃の時代の流れは遅く、なんとなく漠然とした日本共通の価値感がありました。。
その価値観によって、善悪が判断され、そういうもんなんだ。と僕らも思い、疑いませんでした。。
法律など必要ない時代でした。。
しかしバブル崩壊後、国民全体が同じ方向を向いて頑張ればいい。。時代が終わり、それとともに、共通の価値観も崩れました。。与えられたレールの上で、頑張ればいい。。という生き方ができなくなりました。
元々無宗教の日本は、何に従えばいいか分からなくなった。。何を基準に生きればいいのか?
方向性も失い。。何をすればいいか自分で決めないといけなくなり、自分が何をしたいのか分からない。。という悩み、迷子感が増え、だったらとりあえずフリーターでいいや。。と、フリーターが増えました。。
それに伴い、皆が違う方向を向いている時代に、都合の良かった善悪基準という価値観が機能せず、皆が自分勝手な価値観で生きるようになる。。
その自分勝手に生きることを肯定してしまうのが、皮肉な事に法律です。。
法に触れてないからいいじゃないか?
これを堂々と言い出したのは、僕の記憶では小沢一郎さんです。。
それから政治家は、当たり前のように、法に触れてないからいいじゃないか。
と、堂々と言い出し、ホリエモンのような、法の隙間を利用して、荒稼ぎする人が脚光を浴びた時代もありました。
村上ファンドの村上氏は、「金儲けしてそんなに悪いですか?」と、言いました。
ビジネスの世界でも、セブンイレブンの様に、愛知県にあったサークルkを、全滅させてまで、売上日本一になることに、批判も出ない時代。。
法律を基準にすると、人間の心を失うのです。。
人間の行動の基準は三方良しです。。昔の紀州の商人の商売基準です。
自分良し、お客さん良し、世間良し。。
自分の為、お客さんの為、社会の為。。これが同時に成立する行動をすることです。
これは言い換えれば無心なのです。。無為無心。。
また、これが成立するところまで、時代の流れのスピードを落とす事です。。
今、そのチャンスです。
二人三脚をイメージするといい。。
三人が歩調を合わせられるスピードまで落とす事です。。
もう、経済成長という幻覚を捨てて、今の幸福に戻る時期です。
今は、優秀な人だけ先走り、他の二人は転んでしまっているのです。。
一人でゴールを切ってもダメなのです。
転んでる人のところまで戻って、肩を組み合う時期です。。
そこに愛が芽生えると思いませんか?
愛とは、肩組み合う事でしょう。。