テレビを見ていたら、ロシアの男性が、日本人が好きなのだと言う。。
どこが好きなのか?
と聞けば、昔の日本人とのエピソードを話し始めました。
「街を歩いていたら、日本人とぶつかったんです。。そうしたらその日本人は、ぶつかった途端に、あっ、すいません、、と、頭を下げてそのまま立ち去った。。」
と言うのです。
この体験で、このロシア人は、日本人はぶつかった時に、どちらが悪いのか!と言う議論よりも、争いを起こさない事が大事だ。。と考えている、和の心を感じた。。
そこに感動したと言うのです。
そう言われても私達日本人は、へえ〜。
と、なりますよね!
相対性理論のアインシュタインも、日本人好きで、日本人のお辞儀の美しさに惚れたのだと言う。。
共に、日本人の、争いを起こさない事、調和を大事にする心。
それは、初対面に人に対しても、お辞儀をする事で、敵意はありません。。よろしくお願いします。
という心として伝わるのだろう。。
日本では当たり前だが、海外では、争い、勝ちを収めないと、成功がない。。貧乏くじを引いてしまう。。
と言う肩肘張った初対面の緊張があるのかもしれない。。
そういえば、小学校4年の時の担任の先生、黒柳先生の話を思い出す。。
大正生まれの先生でした。。
先生はこう言うのです。
「日本はいいんだぞ! 日本は、間違った事しても、謝れば許してもらえるだろ!。でもアメリカは違うんだぞ!アメリカは何でも裁判だ。例えば自動車事故するだろう。。
日本人だったらぶつけた方が謝って、ぶつけられた方も、まあまあ。。と起きてしまった事はしょうがないですよ。。お互い様ですから。。となるでしょう!
でもアメリカは違うぞ🇺🇸!
自分からぶつかってしまった事を知っているのに、絶対謝らないんだ。。
謝ったら、裁判で自分が負けるからだよ。。
自分の非を認めた事になるから。。絶対認めないんだ。
アメリカの車の🚗バックミラーには、このミラーは、実際より小さく写ります。。と、注意書きのシールが貼ってあるんだぞ!
裁判になった時に、負けない様にだ。。どうだみんな。。日本はいいだろう🇯🇵!」
記憶力が異常に良い僕は、その時事をよく覚えています。。
僕も思いましたよ。。日本人で良かったあ。謝れば許してもらえるもん。。
でもね、現代はどうでしょう。。
アメリカと、こういう真似しなくて良いところまで真似してしまうのです。。
今は、なんでも訴訟を起こす訴訟社会です。。
逮捕されても認めない人が増えた。。
弁護士が来るまで喋りません。。
海外の人が感動する、和の心、和の礼儀作法も、どんどん消えていっています。
昭和時代は、空手をやりたくて来日する外国人が多かった。。
押忍の世界が、かっこいいのだと言う。
そもそも空手。。も、空の手。。武器を持たないという事。。武器で解決しないという事。
押忍とは、忍という字は、刀を止める心。。と書きます。。
言い換えれば、刀を抜かずに解決する。。調和する。。
これが本来の武術の心です。。
武道という字も、刀を抜かない。。という意味です。。矛を止めると書きます。
日本人は、日本刀という一太刀で人を殺せる武器をもっていたからこそ、それを抜かずに解決する心、呼吸を養ったのです。
勝海舟という人は、刺客が現れても、刀を持参せずに、向かい合い、話し合った。。と言います。
その器の大きさ、器量に、刺客は惚れ込んでしまうんです。。
これぞ武道の心です。忍の心です。
私達は、日本の心とは何か、和の心とは何か?
胸に手を当てて考えてみたいのです。。
勝海舟さんの様に、刀を抜ける状態の人が刀を持たない人に、頭を下げてしまう。。
そういう心。。合気道もそうです。。
本当の日本の役割。。
それは、核兵器を使われた唯一の国であるのに、核兵器を持たず、武器に頼らず、世界を調和させていく。。そういう役割があるのでしょう。。
日出る国、日本ですから。。極東ですから。。
日の本、日本は、霊(ヒ)の本(元)という意味です。。
争い奪い合う肉体世界。。から、争いなく調和している霊の次元。。へ、入れ替えていく役割が日本にはあるんです。。きっと。。
名は体を表すと言います。。日本という名前がそれを示しています。。
武器を捨てて手を繋ぎましょう。。
その運動は、日本から始めていかないと。。日本にしかできない。。
日本人にはまだ、その懐かしい心が残っているのです。
そこに海外の人が、自分の心の故郷を感じるのです。。