最近は聞かなくなったが、僕の子供の頃は、袖触れ合うも多生の縁。。
という言葉をよく聞いた。。
多生というのは、何度も生まれ変わってきた幾度の前世の中で、なんらかの関係を持った事がある事。。
縁がある事を言う。。
つまり、町でばったりすれ違う時に、腕が当たるのでさえ、偶然ではない。。という事。。
電車の中で、人と目が合うのも偶然では無い。。
当院に来店してくるお客さんも、殆どの場合前世の何処かで、関係があるのです。。
仏教では、人を殺したくても、人を殺す縁がなければ殺さない。。
殺す縁があれば、殺す気がなくても殺してしまうのだと。。
運命は、多生の縁を土台として、その過去世の縁の不調和を、今生で、または来世において、調和し直すまで、縁は続いていく訳です。。
完全に調和してしまえば、個人は全体、全体は個人となるので、縁に従う意識も無くなる。
だから、出会いというものは、初対面だとは思わない方がいい。。
前世の何処かで、多生の縁で、もうすでに知っている人ばかりです。。
だから、魂レベルでは、よっ。。久しぶりやんか。。なのです、。
人生は一度きり。。だと言うひとがいますが、そうではありません。。
人生は一度だ。。という気持ちで生きる事で、今に集中できる。
今を大切にできる。。というメリットはありますが、人生は一度きりだと言う思想は、失敗した事をいつまでも後悔してしまう事にも繋がります。。
一度の人生、一度のチャンスだと思うからです、。失敗は許されない。。
失敗できない、。失敗したらどうしよう。。という不安が生まれます。
しかし、そうではありません。。今生で、転んだら、なぜ転んだのか、しっかり理解して反省して、来世に繋げる。。ぐらいの気持ちのが楽に生きられるし、失敗を受け入れられます。。
失敗を糧にできるのです。
喧嘩別れした恋人。。友人とも、また来世で会う事になるでしょう。。
喧嘩別れした事を後悔したまま死ぬ心の方が間違いです。。
無理に、見つけ出して、仲直りしようとする必要もない。。
やった事は後戻りできません。。
しかし、その出来事から学んだ気づきは、死んでからも、来世でも繰り越し使えます。
自分の心の中で反省があれば、それは波動を通して、相手に伝わります、。
そして喧嘩別れした相手も、自分も悪い所あったなあ。。と、反省する事ができるのです。
それは、見つけ出して謝る事よりも、相手を大切にしているのです。
相手を活かしているのです。
喧嘩別れした恋人、夫婦、。友人。。
その多生の縁によって、お互いに間違いをぶつけあって壊す縁もある。。
そこで大切なのは、その事件から、何を反省して気づけるか!です。。
後悔したり、憎んだりする事よりも大事なのは、気づく事。。
自分が気づいたら、その気づきは周りに波及していきます。
気づきの波紋を拡げていく。。
万人がそれをすれば、波紋と波紋が混ざり合い。。一つになっていく。。