皆さんは、学生時代、アルバイト面接で、履歴書に、長所と短所を書いた事でしょう。
そして、学生時代、自分の長所だと思っていた事。。または短所だと思った事が、今、お父さんお母さんとして、または職場で、そのまま長所と短所として存在しているだろうか?
例えば、偏差値の高い大学に行った人は、自分は難しい受験物に強いのが長所だと思ってしまった場合。。
偏差値高い人にありがちな、試験が難関である、官僚であるとか、医者であるとか、弁護士を目指し、実際官僚や医者、弁護士になった人が、それは自分の持ち味を活かしたのか殺したのか?
僕には、勉強ができる事が長所だという思い込みのおかげで、その人本来の持ち味を殺してしまっている様にも見えるのです。。もっと違う道があったんじゃないか?
逆に、履歴書に書いた短所は、今でも自分にとって短所であり続けているでしょうか?
大学生の頃、ある、新規オープン予定のレストランに、面接に行きました。。
履歴書の短所には、いつも短気である。。と、書いていました。。
僕自身、自分の短期は、短所だと思い込んでいたのです。。
面接官は言いました。
「短気だという事は、言い換えれば、責任感が強く、正義感が強い事でもあるんですよ!
あなたみたいな人が、バイトリーダーに向いていますよ!是非、入ってください、、」
と言われて、びっくりしたのを覚えています。。
なるほど、自分で思っている長所も、行き過ぎれば自分の持ち味、魅力を潰してしまうし、
短所だと思うところを、隠そう隠そうとするのも、自分の持ち味を殺している事にもなるのかもしれない。。
長所も短所も、半分に分けて考えるのではなく、長所だと思っている要素の中から、または短所だと思っている事の中から、自分の持ち味を見出すことが大事なんだ。
子供の頃から絶対音感があるからと、音楽の道を極めさせる事が、その子の幸福とは限らないし、その子の短所だと思っていた事が、大きくなると共に、形を変え、その子の持ち味になり得るのであります。。
だから、あまり、長所、短所と、半分に分けて考えない方がいいでしょう。。
能力と持ち味は違うのです。。
例えばサッカーチーム⚽️があります。。
特別な能力があっても、それがチームに活かされないのであれば、それは要らない能力です。。
持ち味とは、自分を活かし、チームも活かせる力です。。
自分の持ち味が、解れば、他の人の持ち味も見えてきます。。
それぞれの人が、持ち味を活かし合えば、オーケストラになります。
トランペットが持ち味の人が、バイオリン🎻を引けなくてもいいでしょ?
それは短所ではないのです。。
持ち味ではない。。という事だけです。
短距離が早い子は、マラソンが苦手な子が多い様に。。
マラソンが得意な子は、短距離が苦手。
短距離が早い子は、水に浮きにくく、水泳が苦手なのも、それを短所と捉えず、僕の持ち味は、短距離が早い事だと。。考えた方が楽しい。。
自分を活かし、それが同時に周りも活かしてしまう様な能力。。
それが持ち味です。。