今日は、常連さんで仲良しの女性のお客さん。。
心理学も教えているらしいのですが、その辺の話はあまりしません。。
今日、話しの流れで、僕の得意の仏教系の話をしたんです。
とても興味深く面白そうに聴いていたんです。
「奥深いですねえ。。面白いです🤣」というんですね。
心理学の世界では、聞けない話の様です。
では、同じ心の話なのに、何故心理学では、僕のような話が聴けないのでしょうか?
それは、心理学はあくまで学問だからです。
学問とは分析なんです。
だから、掴みどころのある物を、掴んで分析する事で出てくる答え。。という学問です。
西洋医学もそうだし、心理学もそうです。。
薬学もそうでしょ?
掴めるものを掴んで分析して解るものは、あくまで目に見える世界の問題です。。
しかし、私達は、空気がなければ2分も生きてられない様に、掴めないものによって、生かされているのです。。
つまり、本当の心を知るには、分析を止めることなんです。
勿論分析は大事です。。
でも、私達を生かしているもの、。その本質とは、掴めないものであり、掴めないという事は分析できないのです。
分析できないもの。。掴めないものを理解するには、生かしている法則と、生かされる法則が、一つになる事。
それが禅であり、祈りなのです。
武術もそうです。日常生活を受け入れるのもそうです、行です。
お釈迦さんが真理を空。。という様に、。
老子さんが、真理を道、とか、天とか、大という様に、真理は掴めないものだよ。。
掴めないものを掴もうとしても解らないのだよ。。
だから、生かされてるまま、身を任せれば解るんですよ。。というのです。。
心理学も大事ですが、もっと大事なこと。
それは分析を超えた世界です。
掴みどころがないのです。
その世界を感知するには、肌で感じ取るしかない。。
だから行が大事だというのです。。
行とは、肌で感じるということです。
頭の分析では、目に見えるものしか分からないのです。
心理学とはあくまで、自分で生きてる方のココロの分析です。。
医学的に言えば、病気の研究ばかりで、生命の働きを見てないのと同じです。
病気の研究ばかりしても、病気は無くならないのです。
生命が伸び伸びできない分、症状化、病気化しているのですから。
身体も同様です、心臓や肺臓が勝手に動くのは生かされている身体だからです。。
そちらを見ないと、。その働きを感じないと。。