心が風邪をひいたなら

川村整体ブログ 

仏教における地獄の解釈

統一協会は、教義を知った以上、合同結婚式をしないと地獄に落ちる。。

献金を、し続けないと地獄に落ちる。。信者を獲得する勧誘をやめると地獄に落ちる。。

と、洗脳されているから、病院で出される薬と同じで、飲まなくて良いなら飲みたくないが、

血圧の薬を飲まないと、脳出血になるから辞められない。。コレステロールの薬を止めると、脂質異常症になるから辞められない。。糖尿の薬をやめると、合併症が起きるから辞められない。。

同じであります。。

しかし、仏教を奥深く理解できる、洞察力のある人。。僕も含めて感じています。。

地獄は人を救う所。。

 

そうです、。僕のブログをいつも読んでいる人はお分かりでしょう?

死後の世界に、罰などないのです、全て救いの世界です。

目に見える世界の様に、勝手に人間が考えた相対的な善悪。。善行を行った人が天国、悪行を行った人が地獄。。なんて単純な世界じゃないんです。

どういった心で行ったのか?という心の在り方の基準です。

 

例えば、誰から見ても、あの人は、良い事ばかりしていたから天国?とは限らないし、あの人は悪人だから地獄。。と、思える人が天国かもしれない。。

どういった心で行ったのか?が大事なのです。

 

肉体の基準と死後の、何処へいくかの基準は全然違うんです。

僕だって、死んでみれば行き先が地獄かもしれない。。と、真剣に思っています。。

自分では、自分に正直に、出来るだけ嘘、偽りなく、真っ直ぐに生きて来たつもりだが、実はその生き方が間違いかもしれんのです。

でも僕は怖がってはいません、。

勘違い男の俺は、地獄で勘違いを解いてもらえばいい。

 

別に天国に行くために生きてるわけじゃないし、もし天国に行くために人の為に。。と、偽善を繰り返して生きた人こそ、僕は地獄行きだと思っています。。

でも怖がらなくて良いのです。

地獄ですら救いの場所なのです。

その人の魂の成長度。。に一番あった場所に行くのです。

そこで、気づきを得て、また生まれ変わる。。いずれは皆、残らず極楽行きなのです。

遠回りする人がいるだけ。。

では遠回りする事は、無駄なのか? 非効率なのか?。違います。。遠回りした人の方が、大器晩成で、最終的には霊界、神界の指導者、リーダーとなり、まだ悟っていない人を、指導していけるのです。

天才タイプは教えるのが下手でしょ? 鈍臭い人が一流になった人のが、指導者としては優秀です。

こいつは、一度地獄に行って貰った方が良いな。。と、思えば送るだけ。。

私達は、天国に行くために生きることも、地獄に落ちないために生きる事も、打算的生き方で、邪心なのです。

ですからほとんどの宗教団体は、邪教です。

天国を望まず、地獄を怖がらず、あるがままに、自分の魂のままに生きる。。

これが一番美しい生き方です。

何かの為に生きるな。。無為自然と言われた老子さん。。只管打座と言われた道元さん、自然法爾と言われた親鸞さん。。空になれと言ったお釈迦さん。。皆言ってることは同じ。。

何かの為に偽善する事。。偽善の偽は、人の為の書きます。

あいだみつおさんが、人の為と書いて偽りと読むんだよなあ。。

ねっ。。解って来たでしょ?

 

引用

地獄は悪人を救うところ

ウィキペディアによると、閻魔大王というお方は「地獄、冥界の主」なのだそうだ。
「冥界の王として死者の生前の罪を裁く神」であり、「日本の仏教においては地蔵菩薩の化身とみなされている」とある。

最後の「地蔵菩薩の化身」とは驚いた。
あの恐ろしい顔の閻魔大王と地蔵菩薩が同一の神様というか、仏様というのだから。
どう見てもこの2人、同じお方とは思えない。

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閻魔大王は、「地獄にいて亡くなった人が生前に行った罪を裁く神様」であることは知っている。
だから罪深い人は地獄に落ちて針の山や火の山で永遠に苦しむのだというイメージがあった。

ではなぜ「地蔵菩薩の化身」なのか。

実はこういうことである。

大きな罪を犯した人は亡くなると地獄に落ちる。
そのままでは極楽に行けないから、「地獄」という、悪人ばかりが収容されているところでその罪を清算しなければならない。

荒療治である。

「収容される」というのも適切な表現ではない。
悪人たちは自分と同類の人たちがいるところを自ら選んで行くようだ。

さて、悪いところを治す、これが閻魔大王のお仕事。
つまり、悪人の悪いところを徹底的に治療して、最終的に極楽に送る。
一人でも地獄に残っているうちは自分は絶対極楽に行かないと決めている。
すべての人を救うという使命がある。
この慈悲深さが「菩薩の化身」といわれるゆえんである。

治療は大変だ。
針の山は、言ってみれば「鍼治療」で、
火の山は、言ってみれば「お灸」なのだそうだ。
血の池は、言ってみれば「地獄の温熱療法」である。

殺人犯が地獄に落ちるのかというと、そうでもない。
彼らのうち、生前に裁かれ、刑を受け、心から反省していたら地獄に落ちない。
地獄に落ちるのは悪いことをしていながら、反省することもなく、
法で裁かれることもなく、死んだ人たちである。

でも、大丈夫。そういう人は地獄に落ち、
そこで閻魔大王が救ってくれる。
ちょっと荒療治を受けねばならないが、
それで悔い改めたら極楽に行ける。

こういうことを昔の人は方便として考えた。