私達には、予期せぬ素敵な出逢いがあります。。同時に、予期せぬ、辛い別れもある。。
これを、出会いは良い事で、別れは悪い事。。と、捉えてしまうと、人生が苦しくなってしまう。。
これは、老いる事が不幸と考えてしまう事。。そして.病気になる事は悪い事。。死ぬ事は悪い事。。
と、物事を相対的に捉えてまう肉眼、大脳の癖です。
10円玉は銅でできているが、銅を使って物質にするには、必ず、裏、表ができてしまうのです。
物質世界とは、物質化する為。。つまり空(カラ)無限♾️を有限にする為、どうしても裏表ができてしまうのです。
それで物質世界に住み、目で見える物質世界に囚われ、物質になる前の、無限で絶対的存在。。裏表の無い世界を忘れてしまうのです。
生まれる事、。死ぬ事。。
元気な事、。病気になる事
若い事、老いる事
そして、出逢う事、別れる事は、相対的裏表では無いのです。。
どちらが幸福で、どちらが不幸か?では無いのです。
この世に産まれる事も誕生なら..この世から離れる事。死も。。あの世への誕生です。
♾️ループで回り回っているのです。。水が流れ続ける事で腐らない様にね。。
私達の人生も、一見、幸福と不幸という相対的出来事が、繰り返し現れている様に見えるが、実は螺旋🧬階段の様に、回旋しながら、上がっているのです。
出逢いも必然なら、別れも必然。。螺旋階段🧬です。。
出逢いだけを受け入れて、別れを恐れ、否定してしまうと。。螺旋階段という川の流れは止まってしまう。。
それこそ、デッド(死)腐る事なのです。
予期せぬ必然の出逢いがあります。。その出逢いにより気づきが生まれます。。
そして必ず別れがきます。。最終的には死別するわけですから。。そこまで含めれば、必ず別れがあるんです。
そして別れを受け入れると、また気づきがあるんです。
下の図は、誰が書いたか知りませんが、出逢う事、別れる事。。共にそれを受け入れれば気づきがあります。
その気づきこそ、川に流れる酸素の如く、螺旋階段を、登らせてくれる原動力なのです。
必ず死ぬなら今を大事に生きよう。。
必ずお別れが来るのなら、。一期一会で、今、この人を大切に、この関係を大切に生きよう。
そう思った方が、今日が生きてきます。
出逢いも予期せぬものなら、別れも予期せぬものです。
私達が予想できるののでもありませんし、占い🔮で当てれる様なものでもありません、。
しかし、宇宙の法則が、適時に、必然的に、出逢わせ、別れさせるのです。
死ぬ事も同じです。
仏教では、死ぬのは病気で死んだのではなく、寿命で死んだのだ。。と言います。
その年齢で癌で死ぬ事は、決まっているのです、。寿命です。。
だから、いつ死ぬのか解らないが必ず死ぬなら。。いつお別れが来るか解らないが、必ず別れが来るのなら。。それは法則であって不幸では無いという事でしょう!
ならば、今、この出逢いを大切に、一期一会でいきましょう。。
そして、予期せぬお別れが来たら、それを後悔するより、心で、この出逢いありがとう😭。
と、思った方が自然な思考です。。
そうすれば、次の出逢いに繋がります。。
自分の子供の頃からの出会いを思い返してみよう。。
見事に繋がっているのです。
人間の成長度合いに応じて、適した出逢いが、向こうからやってくるのです。