何年前か忘れたが、あるチェーン展開する整体団体の、お店の店長さんと話をする機会を得て、話をしていました。。
その人、その団体が大事にしているのは「 思い送り」なのだと言っていました。。
つまり、治療と一緒に思いを送る事が大事だというのです。。
個人的にそういう思想であるなら解るが、組織のスローガンがそれである事に、驚き、ついつい「それは間違いだから、そんな組織はやめたほうがいい。」と言ってしまった。。
何が間違いなのか? と言えば、思い。。とは情であり、人情です。。
人情とは見える世界においての同情。。優しさです。。
しかし、治療とは、その次元を超えて行うから、治療になるのです。。
例えば、思いを送るとは、「この人の坐骨神経痛が治ります様に。。」という事になるのだろうが、それは、お願い事になってしまう。。
人情や、目に見える世界を超えた目で見れば、坐骨神経痛になる事によって、体に溜まった邪気を、排泄しながら、綺麗にしているのであって、むしろ、坐骨神経痛にして、身体を守ってくれてるんですね! どうもありがとう。。なのです。。
伝説の整体師、野口晴哉さんも、「治してあげよう。。という意識は、人間が考えた余計なものだ」という言葉を残しています。。
また同時に、「病気は治るものであり、治すものじゃない) とも言っています。。
だから、天心で、手が引かれるところにただ置けばいい。。
そこに、人間の思いは、邪魔でしかないのです。
これは道元さんの、只管打坐と同じですね。
奥深い世界では、必要があるから、症状を起こし、治そうとしているのです。。
治そうとして起こしている事に対して、この症状が治ります様に。。と、思いを送るとは、
身体のやっている事を理解できてない。。むしろ身体がやってくれている事を否定している事になるのです。。
ですから、人間側から見た都合のいい事を願う様な、思いを飛ばせば、宇宙の法則と、不調和、不協和音を起こすのです。。
だから、自然治癒力をむしろ、邪魔する事になるのです。。
だから、私がいつも、お客さんに対して、思うことは、「この方の天命が全うされます様に」
です。。その人の天命がどうなっているのかは解りません。。
しかし、常に、どこをきりとっても、それはその人が天命を全うしている姿なのです、。
それを認めて、肯定してあげることが、一番、宇宙の法則と、ぶつからないのです。。
自然治癒力と、不協和音を起こさないのです。。
亡くなった親友、そして当院に通っていて、高齢で亡くなったおばあさんに対しても、時々思い出しては、「あの世での天命が全うされます様に」と、心の中で、祈っています。。
祈りとは、信じてお任せしています。よろしくお願いします。。という事です。
南無阿弥陀もそうですよ。。
あれは、阿弥陀様お願いします。。ではなく、阿弥陀様に全て信じてお任せしています。。
よろしくお願いします。。という事です。
自分が無くなる。。無心とは、完全にお任せし、受け入れる事ができる状態です。。
それが、天命を信じて人事を尽くす。。という事です。。一所懸命です。
だから無為無心。。無為にして為せ。。なのです。何かの為。。と思えば、それは自我の思いなのです。
自分で意識しようがしまいが、すべての人が無意識に目指しているのはその境地です。。
それが一番いい。。ぶつからないのです。
ぶつからない状態が一番気が流れるのです。。
余計な思いは、大きな石となり、川の流れを堰き止めてしまうのです。
人情で見れば、かわいそうな状態であっても、それがその人にとって必要な運命、経験なのです。。それを、大変でしょうけど、受け入れて、生きてくださいね。。応援してますよ!
です。 応援されると、元気が出ますよね。。
天命が全うされます様に。。は、見えない応援です。